こんにちは~、今日はPCでちょっと写真の見直しをしていたchiguです。
で、ものを作って生きていこうと決めた頃の写真を見つけて懐かしくなってしまった。
今は亡き先代ナナたんはまだ子犬であった。
こうして見ると、今のちびナナたんとあんま見分けつかないけどね。
先代ナナたんが我が家に奇跡のようにやってきてくれる少し前、おいらはまだサラリーマンで、ものすごく一生懸命働いていた。
仕事は楽しかったしやりがいがあったし、頑張ることは良いことだと信じていたし、まあ、忙しかったわな。
一方で何か作って発表したいという気持ちが常にあった。
なんでか知らないけど、いつもいつもその願望はあった。
で、旧ブログにも書いたけど、雑誌なんかで『作家さん』なるものの取材を見かけたりするとギリギリするような、どっと冷や汗が出るような、そのくせ心はカッカと燃えるような、心臓がぎゅーっとなるような、そんな体感があったものだ。
夜に自分は何もやっていないという思いがこみ上げるとそれで布団が重くなって眠れないことも。
ふとしたきっかけで彫金作家さんの教室に通うことに決めたときの、ちょっと重荷をおろしたような感覚は忘れられない。
とにかく何もしてないわけじゃない、私なりに着手したんだっていう安堵だったのかな。
そのときは作家になろうとか思ってたわけじゃなかったと記憶しているけど。
でももう心のどこかでそう決めてたのかも知れない、自分でも気づかないところで。
職場でも変化があったり、自分のなかでそれまでの生活が自分自身と噛みあっていないと自覚し始めたら、もう、もとのすごく働くサラリーマンをやれなくなってしまった。
いや、やれましたよ、表面上はさ。
正直言って、表面上うまくやる能力がけっこう高いんだよね。
ただ、それまでの「就職したんだからそういうもんだ」といった理屈がもう原動力にはならなくなってしまった。
そう、おいらの「動けるパワー」はすでに違う道に注がれてしまっていて、サラリーマン道には残ってなかった。
で、特に貯金や準備がちゃんとあったわけじゃないのに、退職して作家になろうと決めてしまった。
そのへんを思い切りが良いと言うのかアホだと言うのか、それはどちらでも良い。
どちらの響きも好きだよ。
すぐに言われるもんですよ、そういうときは。
「作家じゃ食べていけない」「それでやっていけるのはほんの一握りの人だけ」。
そう言われるとさ、それなりに悩むよね。そうか、どうしようって。
悩んだ時期はそれなりに長くあったと記憶している。まあ、そんなすげ~長かったわけじゃないにしても。
殆ど決めてるくせに、悩み期間をそれなりにとるもんだよな~、そりゃそうか。
悩んでいると、悩むための材料、みたいな情報が投げかけられるもんだ。
上記のようなね。
でも待てよ、ちょっと考えてみると、そういうこと言う人って作家業なんて一度もやったことない上に、下手すりゃ直接の知り合いにもいないって人ばっかよ。
それっておいらと関係あるのか?!参考になるの?
稀に「おじさんがやってるけど、副業がある」とか「知り合いにいるけどアルバイトしてる」とか言う人もいたな。
これも考えてみりゃ、副業やってたって、アルバイトしてたって、別にい~んじゃないの?!
当時はそんな単純なことにも気づかなかったが。
作家になるならあ~じゃなきゃ、こ~じゃなきゃ、という思い込みがたんとあった時期のこと。
はい、ここで、今日のタイトル。
『人の話など聞かず自分の話を聞く』です。
人生でなにか決断するとき、人の話聞いたって仕方ないよ。自分と違う人だもん。
自分とじっくり話しあって、自分で責任もって決めるしかないじゃないか。
というわけで、ここでおいらの「人の話に一切耳を貸さんスタイル第一弾」が形成されたと思われる。
第一弾、というのは、作家業始めてからも、ちょい迷いが生じて誰かにすがりたくなって、しかし結局はアテになんね~や、と「ますます耳を貸さんスタイル第二弾」になったりした経緯があるから。
作家活動に限らず、色んな多くのことを自分とだけ相談して決めてきた。
自分とだけ相談すると世間とは大きく違った道を選ぶときも出てくるし、人と違うことをするってことは金銭的に割を食うこともある。自ら不安材料を抱えることもある。
でも自分が納得して決めたことならそこで生じるちょっとした損なんてたいしたことじゃないのだ。
それを不安だと思うかどうかは、自分で決められることなのだ。
そして、しっかり自分と相談して納得して決めたことって不思議となんとかなるものなのだ。
支えてくれる人に出会ったり、応援してもらったり、自分でもすごく頑張れたり。
悩んでいた当時、作家になりたい、でもうまくいくか不安だと親友にメールで打ち明けたら、親友は「うまくいきたいわけじゃなくて、生活成り立たせたいんじゃなくて、ものを作りたいんでしょ」となんともシンプルな返信をくれた。
あの頃ずいぶん若かった筈だけど、すげ~一言だよ。
おいらはまだ「え~、でも、生活成り立たせられなきゃ作家じゃないじゃん!」とか、思い込みのなかでバタついてましたけど。
こうして振り返ってみると、私がその後何年もかかってやっと本当の意味が分かったそのことを、その親友はあの若さでホイッと返してくれたことへの感動を覚える。
ちなみにその親友はいつでも地に足のついた、それでいてものすごいチャレンジャーで、昨年もビッグなチャレンジミッションを一年かけてやり通した。
こんな人ほかにいないだろうなといつも思う。
本当は誰だってほかにいない筈なんだけど。だから、ほんとはみんな同じ筈なんだけど。
やるかやらないか、だけで。
人の話を聞くのが悪いってんじゃないですよ。
誰かに相談するのだって良いことだと思う。
ただ、おいらの場合は、人からなんとなく聞いていた話を盾にして自分のやりたいことをやらなかった時期、とても苦しかったってことね。
人の話を聞いたにしても、結局はそして当然ながら、もっと大事なのは自分の話を聞くってことだったのね。そこから決めるしかなかったってこと。
誰かに相談したとき、相手の意見を聞くことで本当の自分の思いを探り当てられるなら、相談にも価値はある。
でも相手の意見しか選択肢にあげないとしたら、取り残された自分はどこで何をすれば良いのだろう。悩んでいるのは自分なのに、肝心の自分の意見は取り上げてもらえないなんて。
今だからそう思えるけど、とにかくあの時にいろんなものを押し切って自分の思いを採用してあげて良かった、心から。
えらいぞあのときのアホで無鉄砲な自分。なんとかなるだろ、と能天気に思えた自分。
そんな自分にけっこう感謝してます、まじめに。