こんにちは~、アーティストchiguです。
オートクチュール刺繍、手紡ぎ&手織りをしております。
誰でも長い年月をかけて自分のなかに蓄積してきた、
「こういうテイストが好きなんだよね」ってあるよね。
たとえばだけど「シャネルの洗練されたラグジュアリーが好き」とかさ、
「サンリオのあくまでもキュートで少女で乙女な感じが好き」
「スチームパンクの世界が好き」とかね。
私の場合は具体的に「こんなの、こんなのが好き!」って言語化するのがちと難しい。
あくまでもふわっとしたテイスト、エッセンス、みたいなものだから。
食べ物みたいに「チョコレート、納豆、温泉卵、あ、最近は焼き芋と干し芋もすごく好きです」ってな感じだと自分にも他の人にもすぐ分かるんだけどさ。
具体的ではないから、作品にその「好き」を盛り込もうとするとこれまた難しい。
自分のなかに潜って行って、もやもやふわふわしたものを掬い上げてはかたちにしていく。
調子が良いとかたちにする手前の部分で具体的なイメージになってくれるときもある。
それがしっかりかたちになるところまで行くと、かなり嬉しい。
「そう、これ、私が好きなもの」が生まれてくるとき。
さて、今回のシリーズはその作業がよりしっかりうまくいったと思う。
どれも好きだ~!
画像それぞれ集中して作った時期が違うから、テーマもそれぞれ。
でも共通したテイストがしっかりあって、この技法でより自分らしい世界に踏み込めていると思う。
ちなみに私自身はこれらがすごく好きでも、自分のファッションには取り入れられない。
私のファッションはあくまでもレザー+ジーンズが主なメンズライクなもので、これらの繊細な美しさとはマッチしない。
そのギャップは私の抱え続けるけっこう大きな悩み・・・いや、悩みじゃないな、なにか腑に落ちていないテーマのようなもので、
ものすごく好きだと思うジュエリーやその他もろもろファッションアイテムと
自分が実際に身に着けたいものは全然違うのだ。
それを象徴するアイテムがクローゼットにひとつある。
シルクのショールのような、ちょっと不思議なかたちの不思議なアイテム。
たぶん10年以上前に買ったと思うけど一度も使ったことがない。
ピンクベージュの透けた生地に金糸やビーズやスパンコールを使った手刺繍が施されている。
私にとっては本当に美しくて、お店で見た時にアドレナリンがぶわ~っと大放出されるような惚れアイテムで、実際に使うかどうかなんて関係なく、ただ所有したい一心で連れて帰った。
それを身に着けないであろうことはどこかで分かっていたけれど。
何度クローゼットを片づけても、それが「使っていないから要らないものリスト」に入ることは無かった。
それは所有しているだけで良いもので、たまに視界に入って目の保養になってくれればそれで良い存在。
ダークブラウンやブラックの、ポッケのいっぱいついたレザージャケットがたくさん並ぶなかに、
ひとつだけピンクベージュの透けたシルク。
それが私のクローゼットだ。
そう言えばこのギャップについて話すのって初めてだな。
誰にも言ったことがない。
ブログにこのことを書くのに勇気が要るのは、自分の作品について「私もこのブローチ、愛用してるんですよ!」と言えないからだと思う。
作品が自分のファッションともマッチしていて自分でいつも着けていて、それで宣伝も兼ねられて、という作家さんをずっと羨ましく思ってきた。
「電車で隣の人に『そのネックレス素敵ですね』って声をかけられて、それがきっかけでオーダーを受けた」みたいなエピソード。全部が自分の世界って感じが羨ましい。
自分も作品に寄せたファッションに身を包み、そういう人になるべきか?!
いや~、それは出来ない。そういうんじゃないんだ。どんなに好きでも。
装身具を作品として作っている身としては、そんな自分にどこか堂々と出来ない気持ちがあった。
大袈裟に言えば、引き裂かれるような、と言うかもしれない。ま、それはやっぱ大袈裟だな。
今日、こうして「すっげ~好きなの出来た~っ!」って、自分でニヤつきながら写真を撮ってそれをご報告する文章を書いている。
実は写真は販売の目途が立ってから発表しようと思っていたのを
少しでもはやく見て欲しい!って盛り上がっちゃって、載せている。
そして、文章を書きながら、私自身の在りようと作品のテイストにギャップがあったって全く構わないことに気づく。
よく分かんないけど、私はそういう人間なのだ。
内包するまったく異なる世界観、そこから生まれてくるもの。
おっと、この文章で、何やら自分のなかでちょっと何かが動いたな。
この感覚が枝を伸ばして花を咲かせてくれると良いんだけれど。
思いがけず長くなっちゃって、お付き合い頂いてありがとうございました。
なんか、いいぞ。イヒヒ。