なんと、まだ続いている瞑想

こんにちは~、アーティストchiguです。

手織りではストールを、

オートクチュール刺繡ではブローチを制作しております。



最近、こうしてブログをまた更新するようになった。

なぜと言うに、しばらく書かずにいると書くことが溜まってしまって

ますます書けなくなってしまうというスパイラルに陥ることが判明したからだ。

人に会う仕事でもないから、いつも何かと話す人がいる環境ではない。

でも確実に、制作を続ける日常になかに

「これをお伝えしたい!」ということは生じている。

日々に散りばめられた美しい景色、かわいいもの、心に残る音楽、制作で感じること、いろいろ。

書いて送り出さないと、私のなかに渋滞してごしゃっと未整理な単なる記憶になっていく。

そうして「かたまり」のようになってしまうと、もう、文章に書くのって難しくなっちゃうんだよね。


そんなわけでこうしてPCに向かっている。


今日の話題は瞑想。

瞑想!

若いころの自分が、未来の自分はコツコツと瞑想を続けているなんて想像しただろうか。

いや~、しないよ、ほんと。

自分でも相当意外だもんね。

なかなか色々なことが習慣として長続きしにくいたちだしね。

でも、瞑想は続いている。


いつからかもう覚えていない。

7~8年くらい前かな?

もちろん、その間毎日欠かさずやってきた、ということではない。

1か月やらずにいたけれど再開した、とか、

今週はあまりやっていないな、とか、そんな風だ。

でも基本は毎日やることにしていて、

やれずにいたらそれはそれでリズムの崩れのサインでもある。


たぶん、先に興味を持っていたのは相方だったと思う。

私は相方のマインドフルネスの本を借りて読んで、好奇心でやってみた、くらいのことだった。

途中まではそれでどうして続けていたのか、ちと謎なのだけれど

次第に「どうしてだかうまく説明できないけど、やった方がなんか良い」という

あやふやながらもしっかりと自分のなかから芽生える確信を得るようになった。

他人からの説明やおすすめではなく、自分の中から。

たぶん、長く続けられるものって結局そういうものだと思う。

自分のなかに根付いた動機があるもの。


今は夕方に時間をとっている。

ソファで、瞑想用のアプリのガイダンスを使って。

呼吸に集中する、というのは私には難しかったので、マントラを使っている。

途中ですうすう寝てしまうこともあれば、

終始いろいろ考えて時間が過ぎることもある。

びっくりするくらい集中してしかも気持ちよくなれる日もある。


よく「いろいろ浮かんでしまってうまくいかない」と聞くこともあるけれど

もともとそういうものだから、それでOKな筈だ。

いろいろ浮かんでいる自分に気づいていれば。

何年もやってるが、何も浮かばないときなんて、無い。

だいたい夕方なんて、どうしたって晩御飯のメニューのことがよぎったりするのは当然だ。

でもそれに気づいてマントラに戻る。それを繰り返して一定の時間が過ぎる。

それだけと言えばそれだけ。


画像は本文とは関係ないのです。ただ、しばらく前に出会って連れ帰ったかわいい子なので載せてみた。


私の場合は、夕方にこの時間をとることで、なんとなく一日に一区切りがつく。

家仕事で通勤が無く、オンオフが曖昧な中ではこのことは大切なのかも知れない。

ほかに変化と言えば、

自分を観察するようになったかな、と言うこと。

例えば、ひとりでいれば何かしら考えが浮かぶこともあって

それはなんの意味もなく過去の嫌な記憶を辿っていたり

起こってもいない口喧嘩に備えたシュミレーションだったりすることもある。

(おかしなものだが、そういうのって他の人にもよくあることらしい。)

そういうときに、そんな自分に気づいて、「なんだってこんなこと考えてんだ?!」と我に返る。

それを繰り返して、無闇に不機嫌な考えのループが心を占める時間は減ったように思う。

あとは、そうねえ、体調不良のときや、気分が優れないときに

その自分の状況をけっこうよく観察しているかも知れない。

そうすることで自分に貼り付いている不快さとある程度の距離はとれるように思う。

もちろん、感じていた苦痛を感じなくなる、なんてことはない。

単に観察して距離があると、不快さに絡めとられっぱなしにはならない、というだけだ。


あとのことはよく分からない。

以前よりもいろいろなことを味わう感受性が豊かになったような気がするし

一方で気にしなくて済むことが増えた気もする。

でもそれは、年の功だったり、マイペースで暮らせる環境のおかげで、

瞑想とは関係無いのかも知れない。あるのかも知れない。

瞑想を始めていない自分を用意して比較することは出来ないから、なんとも言えない。



そもそも瞑想って何かしら成果のようなものを求めてやることではないからね。


ひとつ、確信をもって言えるのは、

私たちはこういう「何もしない時間」を敢えて自分からとりにいかない限りは

決して得ることは出来ないってことだ。

そしてそれがどんなに大切なものかは、やってみないと分からないってこと。

私たちはいつも時間に貪欲だし、与えらえる刺激に慣れ過ぎている。


そういう意味では、やってみようかな、という方がいたらお勧めしたい。

何もしない時間って、とても贅沢なものですよ、と。






アトリエchiguの作品はこちらからご購入になれます⇒atelier chigu





おすすめ記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA