結局は良かったすよ、の話3

こんにちは~、月曜の朝は家じゅうしっかり掃除する日のchiguです。

何も気忙しい月曜じゃなく、日曜でも良さそうなもんだが、これはなんだか月曜って感じなのでそうしてる。

終わってPCに向かっているところ。すっきりしていて気持ち良い。



昨日のお散歩ナナたん。いつもと違うコースだったので張り切ってにおいを嗅ぎまくっていた。絶好調だね!


さて、ここのところ何故か自分の過去について記事を書いているんだけれど

さらに何故かシリーズ化してきた。

なんかさ、今だから言葉にできることがたくさんあるな~って思って。

せっかく溢れてくる言葉があるんだから、書きとめておく。


ちなみに今日書くことって、少し前だったら絶対に公開したくないことだった。

恥ずかしいとか、カッコ悪いとかって理由で。

今?ちょっとカッコ悪いとは思うけど、人から見てどうか、という考え方から距離を置けるようになったからな。だから、ま、大丈夫でしょ。

カッコイイかどうかよりも、自分が感じていることを素直に書きたい。何しろこのブログは『自由帳』って名前にしたくらいだからね。


前にも書いたとおり、今はかなり好きなことに取り組めてる。

何かを始めるときはその都度自分と話合った。大きな決断ならなおさら、自分とだけじっくり話して決めて、決めてから「こう決めました」と相方や家族に伝えた。

決断したことの中で、本当の意味で人生の大革命だったのは2度目に仕事を辞めようというときだったと思う。

当時は週4の仕事、作家としての活動、他にちょっとしたアルバイトの3つをかけもち。どうにか時間をやりくりしていた。

作家活動はだんだん良い流れに乗ってきていて、素敵なイベントや美術館のショップでの販売など夢のようなお話を頂いて本当に嬉しくて一所懸命取り組んでいて、「納期に間に合わないかもしれない!」「いや、徹夜すりゃ間に合うよ」とかそんな感覚だった。

充実はしてたけど、無理があるよね。週4の仕事はそれなりにストレスフルな仕事でもあったしな。

で、作家として経済的にまったく自信は持てないが、活動には自信を持てるようになってきた折り、週4の仕事を辞めることにした。

これまた無計画だった。ただ、以前とは違って作家活動のベースのようなものが出来ていたから、それを膨らましていけば良いという見通しはあった。


じつはそれまでの私には「女性は経済的に自立していなければならない」という信念があった。その根拠はそれこそが自由の源だから、というものだったと思うけれど、皮肉にも現実的にはその信念がもっとも足かせになってしまっていた。

言葉としては立派だったかもしれないけれど、それは自分を不自由にし、自分の暮す世界を信頼しないことへ繋がり、ひいては身近な人への信頼も、自分への信頼も損なっていたと思う。

「~ねばならない」の落とし穴よね。

で、私は週4の仕事を辞めようというとき、この信念を捨てることにした。

自分の中ではもうものすごいビッグな革命だった。そうだな、私と言う人間の98%をごっそりあけ渡すくらいの。

あくまでも心境をたとえるとしたらよ。

実際は98%もそんなことが占めてたわけでもなかったんだろうけど、自分はそう決め込んでいたってことね。


で、相方に「すまんが仕事を辞めるので、4月から養ってくれんか」と言ってみたら間髪おかずに「いいよ」と軽くも重くもない返事が返ってきた。

何も聞かれなかったし、言われなかった。

「これからどうするの」とか「もったいないんじゃない」とか「大丈夫?」とか、何も。

ただ、「いいよ」とだけ。

外でばりばり働けてまあまあの収入を得られる(と言ってもそうたいした収入ではないが)自分に価値を置いていた身としては、かなり拍子抜けだったというか、その後こみあげた感謝と感動は忘れられないというか、「『~ねばならない』自分じゃなきゃならない」と思い込んでいたのは私だけでしたか!


その後の状況としては、相方には経済的におんぶに抱っこがベースだが、かと言って自分の作家活動のために負担をかけているということにもなっていないのが今のところ。

でもやりたいことのためにお金のことを母に相談して助けてもらうこともあるし、そんなとき、こんなことカッコ悪くて人に言えないな、自力で出来たらいいのになとも思う。人から「ほら、そうやって頼れる人がいるからやってられるんだよ」と言われることにびくびくしている自分もちゃんといる。


実際は誰にもなんにも言われないのに(少なくとも私の周りの大事な人たちは人の生き方にケチつけたりしない)私だけが恥じてカッコ悪がってるだけなんだわ。

それに、たとえ誰かになんか言われても、別に構わないよね、お互いに考え方ってもんがあるんだから。あなたはそういう考え方なんですね、で済む話。本当は。

その「構わないよ」「大丈夫だよ」の支えになるのが、自分としっかり相談して、自分の気持ちを確かめて決めたことかどうかってこと。それがあればなんとかなる。ちょっとびくびくする時があっても、大丈夫。


私がやりたいことをやって毎日ハッピーだな~と鼻歌うたって過ごしていることを、相方は良きこととして共有してくれてる。おそらく私がなんでも自分でやらなきゃならないと思い込んでストレスフルな仕事をしてその延長上に二人の生活があった時よりも、自分たちの生活がまずはしっかりベースとしてあって、それを支えにそれぞれの仕事がある今の方がずっと良いんだろうと思う。

私自身も外で働くことの大変さをよく分かっているから、相方にものすごく感謝してる。(そのためだけでも、外で働いていて良かったと思う)。

両親やきょうだいにもものすごく感謝してる。いつも応援してくれる。こうして書いてると涙がにじむくらい(かっこわりいな!!)

「自分で何でもやれてますから」というポーズをとり続けていたら、こういうこみ上げる感謝の気持ちを知らずに終わってしまったかもな。


というわけで、私が今までカッコ悪くて人に言えなかったこととは、私の人生の大革命のことだったのだ。

時にはこれと言った根拠も無く、世界は安全だと信じて、自分を守っていた重い鎧を捨てて、肌をさらす代わりに身軽になっても良い時もあるのだ。

人によってそのテーマはいろいろだと思うけど。

私はたまたま経済的な信念の根っことそれに付随した自分のルール、だったけどね。


先のことは分からない。

先のことを考えて対策すべきこともあるんだろうけれど、それに追われて今がないがしろになる事態は避けたい。

こうしていれば安全だろう、を重い鎧として身に纏っても、それが役に立つ鎧なのかどうか誰にも分からない。誰も保証してくれない。

自分にとって何が大切なことなのか、それは自分にしか分からない。


そんなこんなで、自分と相談して決める習慣を身につけて実行してきて、結局は良かったっすよ、第3弾でした。

続きはあるのか?

作家活動のことで書きたいことがまだあるけどな~、うまく言葉になるときにするね。


オートクチュール刺繍の画像はまた制作途中。



取り組んでいるときの静かな幸せは、私自身とたくさんの人に支えられているのだ。

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