そして制作と自分とのこと

こんにちは~、風邪をひいたchiguです・・・とほほ。

熱はないが咽喉がひりひり痛くて鼻水も出る。

織物教室から早く帰ってきてソファでぐっすり寝てしまった。

もちろん白チワワのちびナナたんも一緒。

チワワたちは人間と一緒に寝るのが大好きだけど、ちびナナたんの密着ぶりはすごい。

人の肩とか首とか頬に顔をぴったりくっつけて寝る。

たまに起きて肩とか首とか頬をぺろぺろ舐めてまた寝る・・・なんてかわいいんだ・・・。


いや、そういう話を書く予定じゃなかったっけ。


最近書いてきた過去のことについての記事ね。


書いて公開してから、わ~、書いちゃったよとドキドキしてたらアクセス数が増えていた。

わ~。



この個人的な経過についてまだ書き足りないことがあるとしたら、作家活動に関する姿勢と言うか考え方かな。


この前の記事に、過去の私は「女性は経済的に自立していなくてはならない」という信念があって、それがやりたいことを精一杯やれない足かせになっていた、ということを書いた。

で、同じような思い込みで「作家と言えば、作品を売って生活が成り立っていなくてはならない」というのがあった。

どちらも大事なことだとは思うけれど、私の場合、それにとらわれて身動きとれなくなってしまうときもあった。


結論から言うと、私はこれまでの作品を作って販売してきた年数のなかで、「作家とはなんぞや」議論はどうでもいいことになってしまった。

そんな議論より、私にとって大事なのはものを作ることへ情熱なのだ。

自分が作りたいものを作った結果としての作品なのだ。

そして人の数だけある多様性とそれを認め合う自由なのだ。


私がものを作って販売し始めてから、iichiとかminneと言った、作品を登録して販売できるサイトが出来てきた。

色んなタイプの作品を受け入れる販売イベントも増えた。

たくさんの人が自分の作ったものを発表しやすくなった。

同時期、そういったサイトやイベントに出展する「にわか作家」に対する奇妙なバッシングをネット上で見かけることがあり、実際に知り合いが「あんなの作家とは言えないよ」「主婦の布小物のくせに」と言うのを聞いたこともある。

私も始めはどうなんだろう、と思った。

たぶん、ただでさえ取り組むのが難しいと思っている世界の椅子取りゲームで自分の椅子がとられるんじゃないか、それも私はこんなに努力してきたのに、ひょいっと出てきた人に・・・という不安があったんだと思う。うわ~、それこそカッコ悪いな!!!恥ずかしい、心が狭い!!

さらには、自分もバッシングの対象としての「にわか作家」と言われることへの不安もあったんじゃないかな。そう言われても仕方ない、と言うような。わ~、それもカッコ悪いな~!!恥ずかしい!


しばらくして、ああいうサイトが出来たことで、これまで眠っていた本当にたくさんの才能がちゃんと発揮される素晴らしい時代が来たんだっていうことを実感した。

いや、実感せざるを得なかった。

これまでだったらせっかくの才能も趣味で終わっていたところが、彼らの作品はちゃんと世に出ていくことが出来る。

その人たちがものを作っていない時間、何をしているのかは分からない。夫を支え、小さな子どもを育てているのかも知れない。学生さんかもしれない。外で一所懸命働くサラリーマンかもしれない。それは問題じゃない。彼らは作品を見てもらい、作家さんとして評価される。


私自身、サイトに溢れる素晴らしい作品たちにいつも圧倒される。どれだけ手間をかけたか、とか、どれだけ技術があるか、とか、そういうことさえ問題じゃない。

作る人の数だけ、ありようがある。

「こんなにすごい人がこんなにたくさんいるなんて」といつも感じる。

幸い、今は焦ったり不安になったりしない。感動して、リスペクトして・・・まあ、焦って冷や汗かくときもホントはあるけど(笑)。


さらに大事な経験として、今通っている織物教室がある。

ものを作る人として、これからどうしていったらいいんだろうという漠然としたモンモンがまだ続いていた頃に出会った教室の先生と先輩方。

誰も自分が何者か、なんてこと気にしていない。

ただ、ひたむきなものづくりへの情熱があり、それを心から楽しんでいる。

それこそが本当に素晴らしいクリエイターじゃん!!

すごい衝撃を受けて、まさに原点にぴゅーっと帰して頂きました、ええ。

ドロシーが南の魔女グリンダの助言を受けてカンザスに帰ってきたように。

それまでももうだいぶ緩んでいた「作家とはなんちゃらかんちゃら」思考からとうとう解放された瞬間だったかも知れない。


ものを作って売り始めた頃は、「生活を成り立たせなくちゃ」「それには有名にならなくちゃ」「たくさん売るには量産できなくちゃ」と思い、「あんな作家さんになりたい」というモデルもあった。寝る暇も無いほど忙しく、売るための出張で飛び回るようでなくては、とも思ってた。

私が作りたいシリーズは小さいけれど手がかかり、量産向きじゃないものばかり。

思い込みと作りたいもののはざま。思い込む作家像になれない自分が苦しいときもたくさんあった。

すごく楽しく取り組めるものがあったのに、量産出来なくて効率が悪いという理由で発表前に制作そのものをやめてしまったラインもある。


「生活を成り立たせなくちゃ」から発した夢が叶って嬉しくても、結果は、夢が叶った喜びとはちょっと違う気持ちをもたらした。次のジレンマを運んできただけだった。おかしいよね、長年の夢が叶ったのに。


私が幸せなときって、思うように作れているとき。

ちゃんと創作意欲があって、それを実際に発揮できているとき。

自分の手からものを生み出しているとき。


そこから外れたところから生まれた目標や夢は、もしかしたらいっときプライドを満たしてくれるかも知れない。

けれど、決して私を真から幸せにはしてくれない。

そして私を不自由に閉じ込めていく。視野を狭くし、その不自由を他人にも押し付けようとする。


だからいつも、自分ときちんと向き合って相談する。

そうすると、案外ものごとはシンプルなんだってことにあらためて気づいて、私は自由になり、自由な私は自分だけでなく他人の自由と多様性をこそ大事に思う。

そう、いつもいられたらいいよなって思ってる。


オートクチュール刺繍のブローチのもとたち、そんな私のなかから生まれてきているところです。



この記事を書いたことで、後でまた「わ~、書いちゃったよ」ってドキドキするかもねえ(笑)。でも、公開するぞ!えい、ぽちっとな!

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