こんにちは~、アーティストchiguです。
あまりテレビを見る習慣が無いので、ニュースに触れる時間も少ない。
それでも今起こっている現象の情報は入ってくるわけで、
短い時間に世界が本当に狭くなり、物理的に繋がっていることを強く感じる。
何事も「対岸の火事」では無くなっているんだな、と。
良し悪しではなく、事実として。
大変さを世界で共有している。
これも良し悪しでなく、事実として。
そして、われわれは良い部分を見つけて共有することも出来る筈だ。
せっかく世界が狭く繋がっているのなら。
海外在住の友人たち(主にアート活動繋がりの人たちだ)も
このおこもりライフを機にお菓子を焼いている記事をSNSに投稿している。
遠く離れていてもなんとなく思いつくこと、やることが一緒なのかな。
繋がっているよね、と感じる。
不安なときは深呼吸すると良いと言うけれど(これは経験的に本当だ)、
そこまででは無いものの
なんとなく落ち着かない心持ちの時ってある。
身の回りで起こること、入ってくる情報のために
自分の焦点がなんとなくずれている。
自分でも気づかずに、状況に気持ちを持って行かれてる。
見えない糸でごく静かに引っ張られているように。巧みに。
そんなズレた焦点をちょっと取り戻したくなったら
ほんの少し時間をとって
自分のために、あるいは隣にいる大切な人のために
お茶をゆっくり丁寧にいれて飲んでみよう。
作業が多いという意味では
コーヒー豆を挽くところからコーヒーを淹れるのがおすすめだけれど
これが紅茶でも緑茶でも良い。
ひとつひとつの作業をとても丁寧にする。
お湯の温度の管理、器のあたため方、待ち時間のカウント、注ぎ方。
たった今、この手でする作業にだけ集中する。
テレビとか音楽とか、無しで。
そしてそうやっていれたお茶は
やっぱりテレビも音楽も無しで、うんと丁寧に味わおう。
色をよく見て、湯気を肌に感じて、たっぷり香りを嗅ぐ。
口に含んでからも香りを感じつつ、どんな味がするかを
レポートを書くつもりでしっかり感じ取る。
最後まで丁寧に頂く。
一日のなかで言えばほんのわずかな時間で出来ること。
でもしっかり自分の焦点を取り戻すきっかけになる。
地に足がつく。
え~と、これはマインドフルネスの、割と取り入れやすい方法のひとつだと思う。
「今から10分、目をつぶって呼吸に集中しましょう」と言われるよりも
とっつきやすいと思わない?
昔から「まずはあったかいお茶でも飲んで」なんて
誰かをホッとさせたかったり落ち着いて欲しいときに言う言葉だけれど
その声掛けをする人にとってもされる人にとっても
実はなかなかに奥深い言葉なのかも知れないね。
陽だまりでくつろぐおチビ。
おチビをじっと眺めることは、お茶とはまた一味違った
「否応なく穏やかにさせられる」強力なツール。